記:やのしん
ネットをググればサウナーのインタビューは色々見れます。ただそれには条件があって、「一般的な有名人か、あるいはサウナ界の有名人」に限った話で、同じ人のインタビューが媒体を変えて様々存在しているような感じです。
まぁそりゃそうですよね、仕事としてインタビュー記事を起こすんだったら知名度がある人じゃないとアクセスが伸びないからビジネス的に成功しないですもの。
ただ、僕の感覚では「サウナーのインタビューの対象には有名も無名も関係なく、等しく価値がある」のです。
例えばビジネスやスポーツだったら成功者がどうして成功したか答えるのには説得力という付加価値があって、失敗者とか途上の人が「成功とは」とか語っても「成功してから言えや」ってなるのはわかります。
でもサウナというものは、どういうきっかけだったかとか、その人の入り方がどうとか、サウナにハマる前後でどういう変化があったのかとか、おすすめはどこだとか、別に有名だから回答に付加価値がつくような性質では無いと思うんです。
というのがひとつ。
それとは別で、「サウナーひとりひとりにスポットを当てる場所を作りたい」という想いもあります。
ちょっと自分の昔話になるのですが、僕は大学時代に「自己表現論」という授業を受講していたことがあります。
そこで「自分の半生を語ろう」という回が何度かあって、誰かが司会者(ファシリテーター)になって挙手制で自分の半生を語ってもらうというものでした。
家庭が複雑だったり、こころの病気と闘ったり、様々な葛藤に悩まされたり乗り越えたりまた悩んだりしながらの半生を色んな人が語っていました。
あるとき先生から「お前が司会をやってみろ」と言われて司会をやることになったんですけど、僕はそのとき皆に呼びかける前置きとして「ドラマティックな発表が多かったですが、そうじゃなくても全然構わないので、皆さん自由に発表して下さい」と言いました。
先生や一部の人にめちゃめちゃ怒られました。
「そんなこと言ったら勇気を出してこころの葛藤を話そうとしている人が発表できなくなるだろう」と。
その時は大人しく謝って事は済んだのですが、僕はその考え方に対して異を唱えたい。
「そういう葛藤がある人だけをフューチャーするのが果たして平等というのか?なんとなく大学に入ってきたひともその『なんとなく』であることに疑問を持っているかもしれなくてそれを表明することには価値がないのか?」
「そうじゃないでしょ。葛藤があろうがなかろうが、ドラマがあろうがなかろうが、皆の話を平等に聞いて平等に理解すべきでしょ」と。
そんな過去に対する反発心もあって、僕は出来る限り広範囲に、ひとつひとつのものを丁寧に光で照らせる人間になりたいなぁと思っているのです。
このような想いをもって続けているアンケートですが、頂く回答が本当にどれも面白いんです。
サウナっていう基本的に正解のないテーマに対して各々が自問自答して紡がれる文章なので、どれも個性的なのです。
もちろん、情報量の多い少ないとか、熱量の高い低いとか、哲学の深い浅いとかはありますけど、それは優劣を左右するものではなくてただの特徴なだけで。
たぶん読者の方々以上に僕自身が一番楽しんでアンケートを読んでいると思います。
ただ現状だと、好意的に協力してきて下さった方々に何もお礼が出来ていないのがとても申し訳ないと感じているところです。なんかノベルティとかあればいいんですが、ロゴもサウナ感ないしゆるキャラみたいなのもいないしで今のところグッズの作りようが無いなーと思ってて。
申し訳ないですが、こちらも無収益で広告をつけずにやっている(何なら余計な広告をはじくために有料版でやっている)ので今のところは大目に見て下さい。いつか何か還元できる方法が見つかったらこの御恩はお返ししたいと思っていますので。
まぁそんなわけで、これからも「サウナーインタビュー」は継続的なコンテンツに楽しみながらやっていきたいと思っているので、これを読んで「協力してやってもいいけど?」という聖人がいらっしゃったらぜひご一報下さい。
どうかよろしくお願いいたします。
では、ごきげんよう。